黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

初めての円覚寺・方丈前の百観音にこんにちは!

ひめちゃんは元気に朝散歩に出ます😊

田んぼの畔のヒガンバナは花は終わって、もう来年の準備が始まっています😊

葉っぱを出して、冬の間もエネルギーを蓄えるのでしょう(*^_^*)

 

赤城山はすっきりとは見えないけれど、だいぶその姿を現すようになってきました。

 

ムーハウスガーデンの三地蔵(三四郎地蔵&サマンサ地蔵&ののこ地蔵)の後ろの白いヒガンバナも、来年の準備をしています。

ここには、どうも何かが出現しています。

三地蔵の後ろに埋めたユリの球根が、少しだけど掘られています(˘・_・˘)

七海地蔵の後ろ、獅子丸の墓標にと植えた黄色いヒガンバナも、しっかり来年の準備してます(*^_^*)

こちらは足跡はないようです😊

 

 

 

(9月25日、円覚寺参拝続けます。)

山門を入り、弁天堂に寄り、仏殿でご本尊を拝み、舎利殿を覗き、佛日庵に寄り、白鹿洞を確認し、黄梅院でUターンです。

 

日陰には、まだ、先日の大雨の名残がありました。

 

 

少し下ると、左手に小さな入口があって、人々が吸い込まれていきます⊙.☉

行ってみまーす😊

 

 

方丈でした😊

みなさん靴を脱いで、上がってます。

靴を脱いで、方丈に上がらせていただきました😊

オープンな会場になっているのですね。

合掌😊

 

 

方丈前の門(唐門)は、通行不可です。

みなさん、脇門から出るようです。

 

 

右手に円覚寺百観音です(*^_^*)

お参りしていきまーすO(∩_∩)O

線刻の観音様も、何名もおいでです。

なぜか、一円玉がたくさん上がってます。

ピンクの秋明菊が、優しさを添えています。

やっぱりピンクが一番似合いそう(*^_^*)

皆さんに合掌O(∩_∩)O

 

 

さて、先ほどの門(唐門)に戻ります。

 

見事な彫刻です(*^_^*)

脇門から出ます。

 

振り返って、唐門です。

さっきはあきらめた、方丈と百観音にお参りできました。

一瞬の決断、正しかった😊

改めて合掌(*^_^*)

 

 

(つづく)

新田の出身とは言えず(北条時宗廟所・佛日庵)

ひめちゃんは、一昨日、水の城・女淵城(前橋市粕川町)へお出かけしました😊

お出かけは楽しいでふよO(∩_∩)O

寿命が延びまふでふよO(∩_∩)O

 

この日はなぜかお濠を巡らず、南の御霊神社の方へいきます。

たぶん、ひめちゃんは初めてだと思います。

御霊神社の境内を回って鳥居を出て、桂川にかかる殿原(とのはら)橋を渡って、女淵城に戻ります。

 

暑いけど、本丸だけ寄っていこう😊

ひめちゃんは、持参したお水を飲んでから本丸跡を目指します。

水位がかなり下がってます(˘・_・˘)

本丸跡、今日は草が刈ってありまふよ😊

熱中症にならないように、今日はここで帰りましょう。

またもう少し秋になったら、お濠を一周しよう😊

 

 

 

(9月25日)円覚寺参拝、続きます。

舎利殿をのぞいた人波は、さらに上を目指します。

その先には、北条時宗公廟所・佛日庵です。

塔頭・佛日庵(たっちゅう・ぶつにちあん)です。

円覚寺境内だけれども、独立した支院なので、拝観料¥100が必要です。

人波は立ち寄らずに、通過していったようです。

抹茶もいただきたいけれど、さっき弁財茶屋でいただいたのでパスです。

 

御朱印をお願いします。

「どれにしますか?」

「そうですね、また来れるかどうかわからないので、3種類全部お願いします。」

「どこから、みえましたか?」

「群馬です。小学校の修学旅行以来の鎌倉です。久喜で湘南新宿ラインに乗り換えると一本道です😊」

あれ、やばい。

新田義貞と同じ新田の出身ですとは言えませんでした.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

 

 

待っている間、境内散策です。

クラシックな開基廟です😊

合掌(*^_^*)

 

桜や紫陽花の季節もよさそうです😊

しあわせ観音に合掌😊

 

佛日庵ご本尊(延命地蔵菩薩)にもご挨拶です。

合掌😊

 

いただいた御朱印です。

 

ありがとうございます😊

 

山門前から、もう一度合掌(*^_^*)

贈従一位って、何時のこと?

 

 

右手のすぐ上に、白鹿洞(びゃくろくどう)がありました(*^_^*)

ずーっと奥だと思ってましたけど、意外に近かった😊

円覚寺開堂の日、開山無学祖元禅師の説法を聞こうとして集まった多くの人々と共に、この洞窟より白鹿が群れをなし、禅師の説法を聞いたという。大衆は大いに驚異し、この奇瑞譚により山号を「瑞鹿山」と定めた。

合掌😊

 

 

行き止まりは、黄梅院(おうばいいん)です。

後の応安元年(1368)、室町幕府二代将軍足利義詮の遺骨が分骨され、足利家の菩提所としての性格を帯びている。

合掌😊

 

なぜ足利家の菩提所?

出発前にも確認した、次の資料で納得です(*^_^*)

義貞は八月初旬までには鎌倉を去り、上洛している。鎌倉に滞在していたおよそに二ケ月の間、さきにふれた着到状や軍忠状の承認以外に、目立った政治的動きを見せていない。もし鎌倉を拠点に政治勢力を形成するような志向を有していたならば、当然鎌倉の寺社勢力との関係が重要になってくるが、山本氏も指摘するように、何らかの関係構築を図った様子はうかがえない。~(中略)~一方、義貞退去後の鎌倉の実験を握った足利氏の場合、鶴岡八幡宮をはじめとする鎌倉社寺との関連を示す資料は枚挙に暇がない。~(中略)これらの寺院の庇護者が、幕府の滅亡によって北条氏から足利氏に替わったことを示している。

(群馬県立歴史博物館 第九十八回企画展「大新田氏展」図録、平成31)

 

 

(つづく)

 

はじめての円覚寺・宝冠釈迦如来にこんにちは!

秋晴れが続いています😊

昨日の朝、ひめちゃんは堀之内を西に出て、天神田を歩いてきました。

帰り道、以前はケンくんちの側を意図的に通りました。

ケンくんに逢えなくなって、もうだいぶたちます。

新しい子も来ています。

最近、ひめちゃんの足は大好きだったケンくんちの方に向かなくなりました。

アタチの恋が終わったのを納得したでふよ😊

浅間山は榛名山の左にうっすらだけど、その姿を見せていました。

あそこのナス畑、働いているのは外国人のようです。

日本の農業どうなっていくのかな(˘・_・˘)

 

 

 

(9月25日)円覚寺参拝続けます。

 

弁財天堂から長い長い階段を無事降りて、山門に戻ります。

現在地を確認です。

この次来た時は、弁財天堂まで行けるかな?

 

山門後ろの仏殿を目指します。

ご本尊がお祀りされているのですね。

弘安5年(1282)に安置されて、永禄6年(1563)の大火で焼失、お顔のみ救出され、寛永2年(1625)仏殿再建時に、体部が補造されたのですね。

 

どこぞの寺院と違って、しっかり開け放たれていて、宝冠釈迦如来様に直接お参りできますO(∩_∩)O

合掌O(∩_∩)O

 

さて、後ろの建物に行こうとしましたけど、門からは入れません。

 

やむなく、左のわき道を登ります。

 

池が見えてきました😊

創建当時からあるのですって(*^_^*)

 

妙香池のすぐ上、左の方に、みなさんが行きます。

舎利殿です😊

お釈迦様の歯が、祀られているのですって(*^_^*)

遠くから合掌(*^_^*)

 

さて、先ほどの道に戻って、佛日庵を目指します😊

 

 

 

初めての円覚寺・やっとたどり着いた洪鐘大弁財天

秋晴れの朝です。

ひめちゃんは堀之内を西に出て、天神田(字・天神の田んぼ)を歩いてきました。

赤城山もすっきり見えて、気持ちのええ朝でふよ(*^_^*)

帰り道、ひめちゃんの足はケンくんちの方に向かなくなりました。

西の方には、榛名山も見えます😊

雲をかぶった浅間山も見えます😊

 

 

 

9月25日、鎌倉の円覚寺を参拝です。

山門を抜けて直進せず、右の弁財天堂を目指します。

帰りだと長い階段を登る気力・体力が残っていないかもしれない(˘・_・˘)

先に頑張ろう😊

 

→に従って進みます。

先を行く若者がいるのは心強い(*^_^*)

江の島ノ弁財天様を洪鐘(おおがね)のご神体として「洪鐘大弁財功徳尊天」と名付けて弁天堂を建立しました。

江の島の弁財天さまなんだ(*^_^*)

それにしても長い階段、何段あるのだろう.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

ゼイハア、ゼイハア、やっと頂上が見えてきたO(∩_∩)O

でも、まだまだ続く階段.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

 

 

やっとたどり着きましたO(∩_∩)O

まずは、弁財天さまにご挨拶です😊

霊験あらたかなのですねO(∩_∩)O

心を込めて2礼2拍1礼ですO(∩_∩)O

 

 

さて、洪鐘(おおがね)にこんにちは😊

鎌倉時代という雰囲気がすごい(❁´◡`❁)

合掌(❁´◡`❁)

 

 

さて、弁天茶屋で御朱印をいただきましょう😊

御朱印を頼んで、待っている間、白玉あんみつと冷たい抹茶をいただきます。

富士山が見えることもあるということでしたけど、残念、見えませんでした(˘・_・˘)

御朱印をいただいて帰ります。

書置きと直書きの二種がありましたけど、直書きをお願いしました。

円覚寺の御朱印帳は、まだ参拝受付隣の御朱印所にありますので、念のため持参した御朱印帳にお願いしました。

 

 

さて、帰りもそれなりに気を付けて慎重に降ります。

風鈴を楽しむゆとりはありませんでした(˘・_・˘)

何とか無事に降りられました😊

鳥居の前で1礼ですO(∩_∩)O

 

さて、山門の所に戻って直進します😊

 

 

(つづく)

特急リバティで「いざ鎌倉!」

昨日は秋晴れの良いお天気でした(*^_^*)

ひめちゃんの夕方散歩も、南のフルコースです😊

案山子はもう見当たらず、刈り取りが進んでいます。

給食センターで右折、山上宿を通ります。

シロ君も酷暑の夏を生き抜きました😊

発情期でないので、ひめちゃんもシロ君も、お互いに無関心です。

柿の実がたわわに実り、山茶花も咲き始めています😊

この通りは、かつては道の中央に小川が流れ、両側に十数軒の店が並ぶ宿場だったといいます😊

 

 

 

上野国山上から鎌倉への道を検索すると、鉄道を乗り継いで、ほぼ一本道で行けますO(∩_∩)O

 

新田義貞の鎌倉への進軍ルートは、いつの間にか、新田からまっすぐ利根川を渡るルートではなく、西毛周りのコースがメインになってます。

決起の時は梅雨時で、増水した利根川を渡れないので、利根川の上流・西毛で渡って、鎌倉まで攻め上ったというのです⊙.☉

でも、鎌倉に行くのに南に行かなかったら、やる気失せないだろうか.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

ひめちゃんちのおかあさんも、前橋や高崎廻りでは、ちょっと行く気が失せそう(˘・_・˘)(˘・_・˘)

やはり南に下りたい😊

 

最近の説はどうなんだろう?

いざ鎌倉に出発前に確認しました。

資料は、群馬県立歴史博物館、第九十八回企画展「大新田氏展」(平成31)の図録です😊

 

元弘3年(1333)5月8日、新田義貞は新田荘内の生品神社において、鎌倉幕府討伐の兵をあげた。そののち義貞は、鎌倉を攻略すべく鎌倉街道を南下し、5月11日に小手指原(埼玉県所沢市)、12日に久米川(東京都東村山市)、15・16日には分倍河原(東京都府中市)で幕府軍と交戦しこれを撃破、鎌倉に迫った。

 

鎌倉街道を南下とだけあります。

利根川渡河の話はありません(˘・_・˘)

でも、利根川の南・武蔵の国の新田荘についての記述が結構あります(*^_^*)

 

さて、新田荘(現群馬県太田市および桐生市・伊勢崎市・みどり市の一部と埼玉県深谷市の一部)の開発に着手した義重は、その居館を早川流域の開発私領(空閑の郷々)の一つである世良田郷に構えた。太田市世良田町にある総持寺は、義重の居館跡の伝承を持っており、その可能性が高いと指摘されている。世良田郷は、上野中央部・東上野・北武蔵に至る陸上交通の要地であり、新田荘外との接触において最も優れた立地条件を有していた。~(中略)~義重はまた、村岡宿(現埼玉県熊谷市)ならびに大蔵宿(現同県嵐山町)という北武蔵地域の経済拠点へも進出し、これらの周辺にも居館を構えていたと考えられる。

 

梅雨時でも、利根川を渡って活動していたことでしょうね😊

早川って、大事な川だったのです😊

早川物語総集編、新田まではもう少しかかります。

 

 

検索すると、東武鉄道で久喜まで行き、湘南新宿ラインに乗れば、鎌倉まで行けることがわかりました。

ちょっと大廻りだけど、南下して鎌倉に行けます😊

 

 

9月25日早朝、上毛電鉄最寄り駅のパークアンドライドを利用して赤城駅に行きます。

赤城駅で、東武鉄道の特急リバティに乗ります。

東武特急は何度か乗ったことありますけど、リバティは初めてです(*^_^*)

なんとなく特急の雰囲気😊

車内もゆったりの雰囲気😊

 

 

久喜駅で乗り換えです。

昔々、東武の準急に乗りここで降りて東北本線に乗り換え大宮まで出て、特急ひばりに乗って仙台まで行きました。

何十年ぶりだろう?

 

アナログ人間は改札を出るのも一苦労(˘・_・˘)

やっと東武の改札を出て、JR線の切符もなんとか買って、湘南新宿ラインの乗り場に並びます😊

鎌倉まで約2時間、座れるかな?

 

 

運良く座れました。

途中東京のど真ん中の地名を通ります⊙.☉

 

 

無事に、北鎌倉駅に到着です(*^_^*)

小学校の修学旅行以来の鎌倉です。

今回はとにかく円覚寺を歩こう😊

円覚寺はすぐそこ、というかもう円覚寺ですね😊

15両編成で、たくさんの人が降りました⊙.☉

 

 

総門を入ります。

瑞鹿山が山号ですね。

山号の由来の白鹿洞はずっと奥らしい。

行けるかな?

 

 

拝観受付で入山料¥500を払います。

隣の御朱印受付で、御朱印帳を購入して御朱印をお願いします。

帰りに寄ってくださいと番号札を渡されました。

 

 

境内の案内図です。

 

 

山門をくぐります😊

 

質実剛健といった武士のイメージの山門です。

 

 

山門右手に、国宝洪鐘の矢印があります。

まず、国宝洪鐘と弁財天堂にお参りましょう😊

 

 

(つづく)

彼岸花の二体地蔵塚古墳

晴れました🌤

ひめちゃんは、ワクチン接種で動物病院に行きました。

皮膚炎のお薬ももらって、笠懸のひまわり畑経由で帰ります。

先生に「暑くなりましたから熱中症に気を付けて」と言われましたけど、ちょっとだけ寄り道です(*^_^*)

大勢の人が来てます(*^_^*)

子供が苦手だったひめちゃん、幼児の集団とすれ違っても、平気になりました😊

念のため持って行った、お水で喉を潤します。

熱中症にならないように、そろそろ帰りましょう。

少しの散策だけど、久しぶりに笑顔が戻りましたO(∩_∩)O

 

 


9月23日、実家の墓参に新田へ行きました。

22日過ぎなので、「今月の猫の御朱印出てるかな😊」と、世良田八坂神社に寄りました。

ところが神主さんは祭祀中だということで、書置きのみの対応でした(˘・_・˘)

サンリオの印刷の御朱印などではなく、オリジナルの手書きが魅力の御朱印です。

できれば、御朱印帳に直書きしてほしい(˘・_・˘)

まあ、出直しも大変なので、書置きの御朱印をいただきました。

中秋の名月と猫ですO(∩_∩)O

いいデザインだけど、なんとなく不完全燃焼(˘・_・˘)

 

芭蕉句碑の所に紅白の彼岸花です(*^_^*)

『上野国志』の毛呂権蔵より少し後の時代です。

文字が見えなくなったら、苔を落とすのかな?

どうも不完全燃焼(˘・_・˘)

 

 

二体地蔵塚を通ります。

ここにも彼岸花が咲いてます😊

元弘三年(1333)3月ころ、淵名荘の地頭でもある北条得宗家は、世良田の有徳人に「六万貫の銭貨を5日の内に用意しろ」と言って来たのですね。

激怒した新田義貞は、有徳銭を受け取りに来た得宗被官で淵名荘政所の黒沼彦四郎を捕らえ、その首をはねたのです。

この出来事は、新田義貞の鎌倉攻めの発端になった事件とされていることが多いようです。

説明版は、判読不能です.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

あちこちの史跡が新しくなっているので、そのうちに新しいものに替わるでしょうけど。

合掌😊

 

そうだ、鎌倉に行ってこよう😊

9月25日、鎌倉に行ってきました(*^_^*)

富士見の案山子群と額がない赤城山の大鳥居

ひめちゃんは、完全室内犬の毎日です。

メインの生活場所はおかあさんのお部屋ですけど、気ままに家中移動しています。

タバサねーちゃんの形見のベッドもお気に入りです。

オウチの中が何より好きなひめちゃんです。

 

でも、みんなとお外のサークルで元気に生活していた時もあります。

2021年5月下旬の、黒柴家族です。

みんな笑顔があったねO(∩_∩)O

このころ、おかあさんは赤城山の大鳥居と旧一の鳥居を尋ねました😊

 

 

 

9月12日、津久田の赤城神社から県道34号線で大胡廻りで帰ります。

旧富士見村を通過中に、あれ案山子だ⊙.☉

そういえば、この辺りでいつかもこんな風景に出会ったことがあります😊

 

地域力があってこその風景でしょう(❁´◡`❁)

 

 

県道34号線を東に進むと、赤城山の大鳥居に出ます。

そういえばだいぶ前ですけど、JL1AGYさんのブログで、額が老朽化のため取り外されたと知りました。

ちょうど、大鳥居の信号が赤です(*^_^*)

しっかり確認です。

やっぱりない.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

寂しいです.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

 

在りし日の写真を探しました。

江戸時代後期の修験者&書家、角田無幻(つのだむげん)の書ですね(*^_^*)

なんとも含みのある赤城山の文字ですO(∩_∩)O

 

この鳥居は県道4号線の道幅拡張に伴って設置された鳥居で、もとの旧一の鳥居も保存されています。

samanthahonami.hatenablog.com

赤城の大鳥居には、やはり角田無幻の「赤城山」の額が必要ですね(*^_^*)

 

旧一の鳥居の額には、ミニ屋根がついてますO(∩_∩)O

修験者・角田無幻のパワーもまだ残っていそうです。

今度は、屋根付きの額が設置されればいいなあ😊