黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

東慶寺・縁切寺の記憶はなし(境内は祈りをささげるための神聖な空間です)

めったにない濃霧の朝です(˘・_・˘)

でも、だんだん晴れてきました🌤

今日は貧乏カッパの出番はなさそうと思いきや、午後になって、また曇ってきました(˘・_・˘)

大丈夫かな?

 

たった一人の黒柴家族になったひめちゃん、兄弟姉妹たちの記憶・七海ママの記憶・小次郎パパの記憶はしっかり残っていることでしょう。

同腹のきょうだいで、ひめちゃんはなぜかママに叱られることが多かったようです。

ママは子供たちがしっかり生きていけるように、きびしくしつけをしていました。

優しいけれど怖いママが、子供たちがちゃんと育つように必要なのです😊

 

でも、ママ大好きだったんだよね(*^_^*)

そろそろママたちのお墓に、ビオラを植えてチューリップの球根を埋めなくてはね😊

 

 

 

(9月25日)

円覚寺・総門を出ます。

直進して、線路と白鷺池を渡ります。

カメラの記録時間は、13:06です。

予想よりずっと早く、円覚寺の参拝を終了しました。

次回はもっとゆっくり廻りましょう😊

もう一か所、寄れそうです(*^_^*)

 

 

そうだ、東慶寺に寄って行こう😊

新田(にった)の縁切寺満徳寺資料館では、日本に二つの縁切寺として、東慶寺も紹介されています。

昔、さだまさしの歌にも~源氏山から北鎌倉へ、たどり着いたのは縁切り寺♫~と歌われていました。

 

 

振り返ると、ちょうど電車がやって来ます(*^_^*)

踏切のこちらに、「大本山円覚寺」の文字があります(❁´◡`❁)

ここは円覚寺の参道なのです(❁´◡`❁)

 

 

さて、ほどなく東慶寺に到着です😊

わりと目立たなくありました。

説明版を確認です。

鎌倉時代執権北条時宗の夫人・覚山尼が開創。夫から離縁状をもらわない限り、妻からは別れることができなかった時代に、女人救済の寺として、六百年近く縁切りの寺法を引き継いできました。~(中略)~明治時代になると寺法に別れを告げ、釈宗演禅師を中興開山とする臨済宗円覚寺派の禅寺となりました。

 

縁切寺だったとあります😊

 

 

山門は工事中のようです。

脇から登ります。

境内全域撮影禁止ですって.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

ここでカメラをしまいます。

 

静かに散策しろと言われても、縁切り寺の記憶はなさそう{{{(>_<)}}}

 

御朱印は書置きで3種類ありました😊

全部いただきました。

 

元祖・縁切寺には、縁切寺の記憶はありませんでした(˘・_・˘)

さて、予定より1時間早いけれど帰りましょう。

 

 

北鎌倉の駅前で、鳩サブレを買って、14時07分発の湘南新宿ライン宇都宮行きに乗ります😊

 

東武鉄道久喜駅で、特急リバティの特急券を一時間早い特急りょうもう号の特急券に交換してもらいます。

一回だけなら交換できるそうです。

おまけに200円返金されました😊

 

 

羽生で利根川を渡りました。

つるべ落としの秋の日は、赤城駅に着いたときは落ちていました。

でも、行ってよかった、小学校の修学旅行以来の鎌倉でした(❁´◡`❁)

 

ひめちゃんの小菊の里散策記2026

雨の朝です☔

ひめちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。

今年はナス畑にも異変で、ナスはあんまり成長しなかったようです(˘・_・˘)

 

 

 

一昨日は、よく晴れました。

先日お使い帰りに下見したおかあたんは、「小菊の里多分咲いているよ😊 去年は全然だったけれどね。」

 

ちょっと晴れ過ぎで暑そうだけど、最近お出かけのなかったひめちゃん、やっとお出かけです😊

小菊の里(伊勢崎市赤堀町)にお出かけです(*^_^*)

 

ちょっと暑いけど、やっぱお出かけ楽しいでふよ(*^_^*)

 

満開ではないけれど、かなり咲いています😊

向こうに見えるのは、新里にある巨大なごみ焼却場です。

 

小菊の丘を見上げると、きれいに咲いてますO(∩_∩)O

あれ、小菊の丘を横断している道を軽トラックが走っていきます⊙.☉

ごみ焼却場の方に出られるのかな?

ごみ焼却場に、「小菊の里臨時駐車場」の看板が立つこともあるし😊

今回は、あの道を帰ってみよう😊

 

やはり黄色の花が早いようです😊

 

丘に登ると、西に榛名山、浅間山も見えます(*^_^*)

赤城山もしっかりその姿を現しています(*^_^*)

 

おかあたん、早く早く😊

あの子は、おとうたんを連れて、どんどん登っていきます(˘・_・˘)

暑いから、熱中症にならないように、そろそろ戻りましょう😊

 

見下ろすと、イベントの準備がされています。

週末には、イベントがありそう😊

でも、まだ満開前でイベントもしてないけれど、次々と人がやって来てます(*^_^*)

 

しゃあない、戻りまふよ。

オレンジのマリーゴールド、小菊にいい色合いを添えています😊

 

ひめちゃんは、駐車場で、持参したお水を飲みます。

しゃあない、飲みまふよ。

 

駐車場の沼のほとりに、花の名所案内です😊

向こうの蓮園から見ると、円墳が一基目立ちます。

こちらから見ると、あの円墳のほかに、北西の沼の堤も古墳に見えます(*^_^*)

墳丘(?)上には、弁財天が祀られています(*^_^*)

桜の古木も、ロマンのありそうなトイレもあって、花の名所なのでしょう😊

桜の季節にも来てみましょうね😊

 

帰りは、小菊の里の中央横道を焼却場に出ます。

今年も「小菊の里臨時駐車場」の看板が出ていました😊

初めての円覚寺(花も美しい・月も美しい・それに気づく心が美しい)

今日は、懐かしいひめちゃんの同腹きょうだい(ひめ・獅子丸・ちひろ・琥珀丸)のアーカイブです(*^_^*)

獅子丸は、白足袋をはいた一番大きな子でした。

一番奥のちっちゃな子がひめちゃんです。

動物病院の出産前検診で、確認できる胎児の数は3名でした。

でも、先生は「肋骨の後ろに何かいるような気がする?」

3名が生まれた後、しばらくして七海ママに陣痛が来て、ひめちゃんが生まれましたO(∩_∩)O

生まれてきてくれてありがとう(❁´◡`❁)

ひめちゃんは、ちっちゃくてまっ黒くろすけで、目立たない子でした。

獅子丸は大きいけれど、穏やかなだったのでしょう。

上に乗っているのは、琥珀丸です。

どうしてるかな?

ちひろ・こはく、元気ですか(*^_^*)

 

 

 

(9月25日)

円覚寺、黄梅院から坂を下り総門目指します。

総門そばの売店で、御朱印を受け取らなくては😊

 

右手に、クラシックな建物があります😊

居士林ですって😊

一礼して通り過ぎます。

 

また、超クラシックな建物です😊

修行僧の座禅道場ですって。

一礼です😊

 

左手に、円覚寺ご本尊宝冠釈迦如来の仏殿です(❁´◡`❁)

一礼して合掌(*^_^*)

 

振り返って、もう一度一礼です(*^_^*)

 

山門にたどり着きました(❁´◡`❁)

さっきより、ずっと鎌倉時代っていう感じです😊

 

 

山門を出て、売店(御朱印受付)に寄ります。

御朱印帳を受け取ります。

花も美しい・月も美しい・それに気づく心が美しい、巻頭言も書き込まれています(❁´◡`❁)

ありがとうございます(❁´◡`❁)

 

 

 

(つづく)


        

 

生きている修験者の法力(山上ろまん2026)

ひめちゃんは、堀之内を北に出ます。

やっぱ、直進はやめませう(˘・_・˘)

そうしましょう。

ひめちゃんは、この先で2度、足にけがをしています.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

 

左折して、赤柴の超老犬・プーちゃんのいた小屋の前を通ります。

プーちゃんの小屋はまだるけど、草に埋もれそう(˘・_・˘)

 

堀之内の西を歩いて帰ります。

美濃っても何年も刈り取られることのなかった田んぼ、刈り取ってあります😊

良かったね😊

赤城山がきれいに見えます(*^_^*)

 

 

 

一昨日、地域の公民館で、高名な山上氏研究家の「山上氏と山上城」~山上氏の足跡をたどってみると関東や日本の歴史が見えてくる~の講座がありました。

 

山上氏にはあんまり興味がないけれど、久しぶりに行ってみましょう😊

いざ行ってみると、ええッ⊙.☉、基本的な資料はあの「山上氏家臣団の一覧」でした.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

そして資料は一級資料はなく、北条氏が北条氏にために編纂したとかいう「吾妻鑑」と「平家物語」「太平記」などでした.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

歴史を語るには、ちょっとというかかなり疑問符です(*  ̄︿ ̄)

 

この家臣団一覧は『新里村史』に掲載されていますけど、出所がいい加減です(*  ̄︿ ̄)

でも、一部の人の心をとらえて離さないのです.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

 

この一覧は、実は修験者・鏑木武七が自家のステイタスをあげようと創作したものの、最初と最後を割愛したものです。

専門家の意見として、
この文書は、天保3年に写したと署名の人が、創作したものでしょうとのこと⊙.☉
署名の人は、かなりの実力者で、さらなるステイタスの向上を求めた。
由緒ある血統に繋がろうと考えた。
山上氏はすでにいなかったので、繋がりやすかった。

もう10年も前に、桐生市図書館のちゃんとした歴史家の先生によって指摘されています😊

 

ひめブログでも、何度も指摘しているのですが、高名な山上氏研究家が、まだ修験者・鏑木武七の法力にとらわれているのです.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

 

 

10年も前で、写真の撮り方もつたなかったですけど、常広寺に伝わる文書の山上氏家臣団一覧関係の文書を何枚かアップします。

本当は全部上げたいのですけど、かなりの枚数になってしまいます。

一部抜けますけど、ごめんなさい(˘・_・˘)

 

 

直系は、今は鏑木姓なのです。

山上ではありません(˘・_・˘)

 

 

鏑木さんの通字は、見事に「正」です。

専門家の先生によると、ミドルネームは、当時そこらにいた人の名前でしょうということです。

 

実名(ファーストネーム)にはいろいろ思案していたようです。

「大前田善四郎忠治」、なんていうのもあります😊

 

 

常広寺文書の山上氏家臣団と、『新里村史』の山上氏家臣団は、少し違いがあります。


山上氏家臣団一覧は、もしかしたら何人かで、ああでもないこうでもないと知恵をしぼったかもしれません。
見せたら、ウチはもっと上に入れてくれということもあったかも。
山上氏家臣団には、旧新里村のほとんどの苗字がはいっています⊙.☉


山上氏の家臣団は正応4年(1291)からずうーと700年この地に居るように錯覚している人もいます(˘・_・˘)

 

でも専門家の先生方の見解では、近郷近在の苗字をかきあつめたものでしょうということです。


江戸時代でもほとんどの人が苗字を持っていました。

昔、学校では百姓は苗字を持っていなかったと教わりましたが、実は持っていた、使わなかっただけです。


できあがった山上氏家臣団の一覧は、秘蔵ではなく、何かにつけて見せられ写されしていったと思われます😊
いくつかのバリエーションが存在してもおかしくはありません。


自己のステイタスの向上のために、意図的な改ざんが行われてもおかしくありません。
ウチはもっと上に、あそこんちは気に入らないから下にとか。


そして『新里村史』によって広く知られるようになったようです.·´¯`(>▂<)´¯`·. 
「おらが村の殿様は、鎌倉時代に山上城に住み、こんなにたくさんの家臣にかこまれていたのだ。おらちは上位の侍だ。」と、
エレンダーフリンダー(偉いのだ、古いのだ)症候群満開の人もいたでしょう(*  ̄︿ ̄)
他方、下位の人はおもしろくなかったでしょう。

 


今でも、この山上氏家臣団の一覧に、心を奪われている人々がいます。

この山上ろまんは、ろまんが大好きな新里の人々の心をとらえて離さないのです。

山上ろまん、永遠かも.·´¯`(>▂<)´¯`·. 
作者である、大峰派権大僧都の修験者・鏑木武七さんの、偉大な法力なのでしょう😊


あの世で、「わしの法力はたいしたものよのうO(∩_∩)O 200年経ってもまだ効いておるぞ(*^_^*) かんらからからO(∩_∩)O」と、高笑いをしていることでしょうO(∩_∩)O

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めての円覚寺・方丈前の百観音にこんにちは!

ひめちゃんは元気に朝散歩に出ます😊

田んぼの畔のヒガンバナは花は終わって、もう来年の準備が始まっています😊

葉っぱを出して、冬の間もエネルギーを蓄えるのでしょう(*^_^*)

 

赤城山はすっきりとは見えないけれど、だいぶその姿を現すようになってきました。

 

ムーハウスガーデンの三地蔵(三四郎地蔵&サマンサ地蔵&ののこ地蔵)の後ろの白いヒガンバナも、来年の準備をしています。

ここには、どうも何かが出現しています。

三地蔵の後ろに埋めたユリの球根が、少しだけど掘られています(˘・_・˘)

七海地蔵の後ろ、獅子丸の墓標にと植えた黄色いヒガンバナも、しっかり来年の準備してます(*^_^*)

こちらは足跡はないようです😊

 

 

 

(9月25日、円覚寺参拝続けます。)

山門を入り、弁天堂に寄り、仏殿でご本尊を拝み、舎利殿を覗き、佛日庵に寄り、白鹿洞を確認し、黄梅院でUターンです。

 

日陰には、まだ、先日の大雨の名残がありました。

 

 

少し下ると、左手に小さな入口があって、人々が吸い込まれていきます⊙.☉

行ってみまーす😊

 

 

方丈でした😊

みなさん靴を脱いで、上がってます。

靴を脱いで、方丈に上がらせていただきました😊

オープンな会場になっているのですね。

合掌😊

 

 

方丈前の門(唐門)は、通行不可です。

みなさん、脇門から出るようです。

 

 

右手に円覚寺百観音です(*^_^*)

お参りしていきまーすO(∩_∩)O

線刻の観音様も、何名もおいでです。

なぜか、一円玉がたくさん上がってます。

ピンクの秋明菊が、優しさを添えています。

やっぱりピンクが一番似合いそう(*^_^*)

皆さんに合掌O(∩_∩)O

 

 

さて、先ほどの門(唐門)に戻ります。

 

見事な彫刻です(*^_^*)

脇門から出ます。

 

振り返って、唐門です。

さっきはあきらめた、方丈と百観音にお参りできました。

一瞬の決断、正しかった😊

改めて合掌(*^_^*)

 

 

(つづく)

新田の出身とは言えず(北条時宗廟所・佛日庵)

ひめちゃんは、一昨日、水の城・女淵城(前橋市粕川町)へお出かけしました😊

お出かけは楽しいでふよO(∩_∩)O

寿命が延びまふでふよO(∩_∩)O

 

この日はなぜかお濠を巡らず、南の御霊神社の方へいきます。

たぶん、ひめちゃんは初めてだと思います。

御霊神社の境内を回って鳥居を出て、桂川にかかる殿原(とのはら)橋を渡って、女淵城に戻ります。

 

暑いけど、本丸だけ寄っていこう😊

ひめちゃんは、持参したお水を飲んでから本丸跡を目指します。

水位がかなり下がってます(˘・_・˘)

本丸跡、今日は草が刈ってありまふよ😊

熱中症にならないように、今日はここで帰りましょう。

またもう少し秋になったら、お濠を一周しよう😊

 

 

 

(9月25日)円覚寺参拝、続きます。

舎利殿をのぞいた人波は、さらに上を目指します。

その先には、北条時宗公廟所・佛日庵です。

塔頭・佛日庵(たっちゅう・ぶつにちあん)です。

円覚寺境内だけれども、独立した支院なので、拝観料¥100が必要です。

人波は立ち寄らずに、通過していったようです。

抹茶もいただきたいけれど、さっき弁財茶屋でいただいたのでパスです。

 

御朱印をお願いします。

「どれにしますか?」

「そうですね、また来れるかどうかわからないので、3種類全部お願いします。」

「どこから、みえましたか?」

「群馬です。小学校の修学旅行以来の鎌倉です。久喜で湘南新宿ラインに乗り換えると一本道です😊」

あれ、やばい。

新田義貞と同じ新田の出身ですとは言えませんでした.·´¯`(>▂<)´¯`·. 

 

 

待っている間、境内散策です。

クラシックな開基廟です😊

合掌(*^_^*)

 

桜や紫陽花の季節もよさそうです😊

しあわせ観音に合掌😊

 

佛日庵ご本尊(延命地蔵菩薩)にもご挨拶です。

合掌😊

 

いただいた御朱印です。

 

ありがとうございます😊

 

山門前から、もう一度合掌(*^_^*)

贈従一位って、何時のこと?

 

 

右手のすぐ上に、白鹿洞(びゃくろくどう)がありました(*^_^*)

ずーっと奥だと思ってましたけど、意外に近かった😊

円覚寺開堂の日、開山無学祖元禅師の説法を聞こうとして集まった多くの人々と共に、この洞窟より白鹿が群れをなし、禅師の説法を聞いたという。大衆は大いに驚異し、この奇瑞譚により山号を「瑞鹿山」と定めた。

合掌😊

 

 

行き止まりは、黄梅院(おうばいいん)です。

後の応安元年(1368)、室町幕府二代将軍足利義詮の遺骨が分骨され、足利家の菩提所としての性格を帯びている。

合掌😊

 

なぜ足利家の菩提所?

出発前にも確認した、次の資料で納得です(*^_^*)

義貞は八月初旬までには鎌倉を去り、上洛している。鎌倉に滞在していたおよそに二ケ月の間、さきにふれた着到状や軍忠状の承認以外に、目立った政治的動きを見せていない。もし鎌倉を拠点に政治勢力を形成するような志向を有していたならば、当然鎌倉の寺社勢力との関係が重要になってくるが、山本氏も指摘するように、何らかの関係構築を図った様子はうかがえない。~(中略)~一方、義貞退去後の鎌倉の実験を握った足利氏の場合、鶴岡八幡宮をはじめとする鎌倉社寺との関連を示す資料は枚挙に暇がない。~(中略)これらの寺院の庇護者が、幕府の滅亡によって北条氏から足利氏に替わったことを示している。

(群馬県立歴史博物館 第九十八回企画展「大新田氏展」図録、平成31)

 

 

(つづく)

 

はじめての円覚寺・宝冠釈迦如来にこんにちは!

秋晴れが続いています😊

昨日の朝、ひめちゃんは堀之内を西に出て、天神田を歩いてきました。

帰り道、以前はケンくんちの側を意図的に通りました。

ケンくんに逢えなくなって、もうだいぶたちます。

新しい子も来ています。

最近、ひめちゃんの足は大好きだったケンくんちの方に向かなくなりました。

アタチの恋が終わったのを納得したでふよ😊

浅間山は榛名山の左にうっすらだけど、その姿を見せていました。

あそこのナス畑、働いているのは外国人のようです。

日本の農業どうなっていくのかな(˘・_・˘)

 

 

 

(9月25日)円覚寺参拝続けます。

 

弁財天堂から長い長い階段を無事降りて、山門に戻ります。

現在地を確認です。

この次来た時は、弁財天堂まで行けるかな?

 

山門後ろの仏殿を目指します。

ご本尊がお祀りされているのですね。

弘安5年(1282)に安置されて、永禄6年(1563)の大火で焼失、お顔のみ救出され、寛永2年(1625)仏殿再建時に、体部が補造されたのですね。

 

どこぞの寺院と違って、しっかり開け放たれていて、宝冠釈迦如来様に直接お参りできますO(∩_∩)O

合掌O(∩_∩)O

 

さて、後ろの建物に行こうとしましたけど、門からは入れません。

 

やむなく、左のわき道を登ります。

 

池が見えてきました😊

創建当時からあるのですって(*^_^*)

 

妙香池のすぐ上、左の方に、みなさんが行きます。

舎利殿です😊

お釈迦様の歯が、祀られているのですって(*^_^*)

遠くから合掌(*^_^*)

 

さて、先ほどの道に戻って、佛日庵を目指します😊