昨日は秋晴れの良いお天気でした(*^_^*)
ひめちゃんの夕方散歩も、南のフルコースです😊

案山子はもう見当たらず、刈り取りが進んでいます。
給食センターで右折、山上宿を通ります。

シロ君も酷暑の夏を生き抜きました😊
発情期でないので、ひめちゃんもシロ君も、お互いに無関心です。

柿の実がたわわに実り、山茶花も咲き始めています😊
この通りは、かつては道の中央に小川が流れ、両側に十数軒の店が並ぶ宿場だったといいます😊
上野国山上から鎌倉への道を検索すると、鉄道を乗り継いで、ほぼ一本道で行けますO(∩_∩)O
新田義貞の鎌倉への進軍ルートは、いつの間にか、新田からまっすぐ利根川を渡るルートではなく、西毛周りのコースがメインになってます。
決起の時は梅雨時で、増水した利根川を渡れないので、利根川の上流・西毛で渡って、鎌倉まで攻め上ったというのです⊙.☉
でも、鎌倉に行くのに南に行かなかったら、やる気失せないだろうか.·´¯`(>▂<)´¯`·.
ひめちゃんちのおかあさんも、前橋や高崎廻りでは、ちょっと行く気が失せそう(˘・_・˘)(˘・_・˘)
やはり南に下りたい😊
最近の説はどうなんだろう?
いざ鎌倉に出発前に確認しました。
資料は、群馬県立歴史博物館、第九十八回企画展「大新田氏展」(平成31)の図録です😊
元弘3年(1333)5月8日、新田義貞は新田荘内の生品神社において、鎌倉幕府討伐の兵をあげた。そののち義貞は、鎌倉を攻略すべく鎌倉街道を南下し、5月11日に小手指原(埼玉県所沢市)、12日に久米川(東京都東村山市)、15・16日には分倍河原(東京都府中市)で幕府軍と交戦しこれを撃破、鎌倉に迫った。
鎌倉街道を南下とだけあります。
利根川渡河の話はありません(˘・_・˘)
でも、利根川の南・武蔵の国の新田荘についての記述が結構あります(*^_^*)
さて、新田荘(現群馬県太田市および桐生市・伊勢崎市・みどり市の一部と埼玉県深谷市の一部)の開発に着手した義重は、その居館を早川流域の開発私領(空閑の郷々)の一つである世良田郷に構えた。太田市世良田町にある総持寺は、義重の居館跡の伝承を持っており、その可能性が高いと指摘されている。世良田郷は、上野中央部・東上野・北武蔵に至る陸上交通の要地であり、新田荘外との接触において最も優れた立地条件を有していた。~(中略)~義重はまた、村岡宿(現埼玉県熊谷市)ならびに大蔵宿(現同県嵐山町)という北武蔵地域の経済拠点へも進出し、これらの周辺にも居館を構えていたと考えられる。
梅雨時でも、利根川を渡って活動していたことでしょうね😊
早川って、大事な川だったのです😊
早川物語総集編、新田まではもう少しかかります。
検索すると、東武鉄道で久喜まで行き、湘南新宿ラインに乗れば、鎌倉まで行けることがわかりました。
ちょっと大廻りだけど、南下して鎌倉に行けます😊
9月25日早朝、上毛電鉄最寄り駅のパークアンドライドを利用して赤城駅に行きます。
赤城駅で、東武鉄道の特急リバティに乗ります。
東武特急は何度か乗ったことありますけど、リバティは初めてです(*^_^*)


なんとなく特急の雰囲気😊

車内もゆったりの雰囲気😊
久喜駅で乗り換えです。
昔々、東武の準急に乗りここで降りて東北本線に乗り換え大宮まで出て、特急ひばりに乗って仙台まで行きました。
何十年ぶりだろう?
アナログ人間は改札を出るのも一苦労(˘・_・˘)
やっと東武の改札を出て、JR線の切符もなんとか買って、湘南新宿ラインの乗り場に並びます😊
鎌倉まで約2時間、座れるかな?
運良く座れました。
途中東京のど真ん中の地名を通ります⊙.☉
無事に、北鎌倉駅に到着です(*^_^*)
小学校の修学旅行以来の鎌倉です。
今回はとにかく円覚寺を歩こう😊


円覚寺はすぐそこ、というかもう円覚寺ですね😊
15両編成で、たくさんの人が降りました⊙.☉
総門を入ります。



瑞鹿山が山号ですね。
山号の由来の白鹿洞はずっと奥らしい。
行けるかな?
拝観受付で入山料¥500を払います。

隣の御朱印受付で、御朱印帳を購入して御朱印をお願いします。
帰りに寄ってくださいと番号札を渡されました。
境内の案内図です。

山門をくぐります😊



質実剛健といった武士のイメージの山門です。

山門右手に、国宝洪鐘の矢印があります。

まず、国宝洪鐘と弁財天堂にお参りましょう😊
(つづく)